自宅介護が始まった頃

87~90歳、認知症状が発症してから7~10年目ですが服薬はしていません。当時は認知症外来というものもなく、認知症=受診という発想もありませんでした。結果的に自分たちの望むケアができました。

家族がコミュニケーション方法を模索し改善する中で、周辺症状が変化しました。表情も明るくユーモラスな応答が増えました。楽しいおうち介護の様子です。

手芸やお菓子作りを手伝ってもらうことで集中力や気分転換、手先の機能維持につなげました。

洋服を明るく爽やかなもの(ユニクロ)に変えることで介護が楽しくなりました。

食器も無地でカラフルなものに変えることで食品の認識率を上げ、自立性を保つ工夫をしています。(柄物は食べ物だと誤解します)

この後、2008年90歳の夏に脳出血を発症し、失語状態、全介助となります。

脳出血と回復のためのリハビリ

祖母が90歳5か月目で脳出血になり失語状態で意思表現も無くなってしまった時、ベッドサイドで専用のスポンジに水を含ませ歯磨きをしてあげてたんです。その時に、ふと、「もしかして味覚は残っているのかな?」と気が付いて、リンゴジュースを使ったらごくごくと吸い付いて来たんです。「味覚はある!」感動とワクワクで涙が出ました。家族が看てたからこその発見でした。

胆嚢炎で入院が延び40日の病院生活で残存機能も死にかけていました。胃ろうを作り、安定した栄養摂取を実現させてから退院させ、その日から1カ月短期集中リハビリで一気に機能回復させました。残存機能を発掘し、強化し、維持する挑戦によって半年で完全に口から食べられるようになり、胃ろうは不要になりました。しかし、胃ろうは、水分補給と服薬のために残しました。

生活と共にあるリハビリ

退院半年、初めての胃ろう交換で本当は外すという選択をしたかったけれど、継続を選択しました。次の交換、その次へと時が進むほどに祖母の加齢は進みます。外せる条件を維持し続けたとしても、外せない状況になるという私の予測と本音。「であれば、今しかない…」他の家族にも主治医にも言えないシビアすぎる思いがありました。

けれども祖母の生きたいというエネルギー、急速に復活していく姿は疲弊していた家族に再び介護への意欲をもたらし、服薬と水分補給のサポートグッズとして残すことにしました。私は未来にやってくる重い決断を引き取ることにしました。

1年間後、維持期リハビリの成果は家族を次の決断へと導きます。

※医療関係者の方で、写真をプレゼン資料のイメージフォトとして使いたい場合はご一報の上、D-Method提供と書き添えてご使用ください。